真矢ミキさん産経新聞での阪神大震災の時の宝塚のお話を読んで。

宝塚歌劇を観劇するようになったのはほんの最近のことなので、真矢ミキさん(旧芸名:真矢みきさん)のことは宝塚をご卒業され、女優さんとしてのご活躍しか知りません。

宝塚時代を全く知らないんですね。(試験では劣等生だったとご本人がおっしゃっていて驚きました)

それでも産経新聞の連載から、宝塚時代の様子を読んで少しだけ知ることができています。

目次

真矢ミキさんと阪神淡路大震災

東日本大震災の発生時には、阪神・淡路大震災でのご自身の被災経験から被災地支援のために発売し、その売上を寄付した赤いホイッスルやメッセージも読むことができました。

安寿ミラさんのサヨナラ公演が中断されたこと、震災の翌日か翌々日かに安否確認のために安寿ミラさんが真矢ミキさんの自宅を訪ねられたこと、バウの細川勝幸支配人との別れ……を読みました。

《生徒(出演者)や団員の安否確認が進むうち、バウホール(宝塚大劇場に隣接する小劇場)の細川勝幸支配人が死亡したとの知らせが入る》

細川さんは私がバウに出演すると毎回、「僕は君がトップになるのが楽しみで仕方ない」って励ましてくださった方です。訃報に、ひたすら泣きながら避難したのを覚えています。

女優・真矢ミキ(8)阪神大震災に呆然 思いは東北支援にも|産経新聞

1月17日に思いを馳せて

1995年(平成7年)年1月17日午前5時46分、皆さんは何をされていましたか?

明け方だったので、関西の方も就寝していた方がほとんどなのではないでしょうか。

関西以外の方はテレビ報道でご覧になって驚かれたのではないかと思います。

いま、私は転勤族の主人に帯同しているので関東に住んでいますが、阪神・淡路大震災の日はまだ兵庫県の実家に住んでいました。

揺れたな……とは思いましたが、まだベッドの中にいて。母の悲鳴のような呼び声で家の一階に降りてみると、モノがぐちゃくちゃになっていて。テレビも台から落ちるほどのすごい衝撃でした(ブラウン管テレビだったので落ちただけで無事ではありましたが)。

ガス管からガスが漏れていて寒空の中で近所の人全員が外に避難させられたこと、わが家は半壊は免れたものの屋根が壊れていてボランティアの方がブルーシートを屋根にかけてくれたこと、急いでスーパーに食べるものを買いに行ったけれど空っぽだったこと、駅前は全壊や半壊のお家もたくさんありました。

私は学生最後の年で、就職が決まっていたので、安否確認のために新卒入社者は会社に来るように呼び出しがありました。

お家が倒壊してしまった子はすぐに会社がマンションを借りてくれて引越ししていました。

電車が止まっていたので「家を用意するから」という会社の通達で、芦屋の実家から大阪市内の会社まで何時間も歩いてたどり着いた子もいました。

関西人でありながら、通学通勤でよく梅田駅を通っていて、駅では宝塚歌劇団の皆さんのポスターや広告などを当たり前に見ていたのに宝塚歌劇に触れることなく生きてきてしまいましたが、遅ればせながらその魅力を知ることができて嬉しいです。

現在上演されている宝塚大劇場の月組さんも、今日から幕が上がる別箱の雪組さんも、今日の午後に再開するか発表がある東京宝塚劇場の花組さんも。

とにかく生徒さんもスタッフの皆さんも、応援するファンの皆さんも、健康で平穏無事な日々を送れますように。

▼宝塚歌劇ファンの皆さんのブログが見られます。

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